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| 23/2/2006 |
祝辞 |
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リオデジャネイロ日本商工会議所 会頭 堤 寿彦 本日は、連盟五〇周年及び老壮会のお祝いにお招きいただき真にありがとうございます。商工会議所を代表し、心よりお祝いを申し上げたいと思います。 改めて、五〇年という単位がどういうものか、考えてみました。 二〇〇年前の一八〇五年、宮城・石巻を出た帆船「若宮丸」がロシアで難破遭難、救われた船員四人が、ロシア軍艦二隻で世界を回り長崎に到着、初めてブラジルに足跡を残した日本人としてブラジル各地で見聞した二ヵ月間の出来事を伝えました。 一五〇年前の一八五五年には、スペイン最初の移民団がブラジルに向かい、翌年サンパウロに到着。二〇年ほどして、徳川幕府がオランダに発注した、初めての外国船「開陽丸」を引き取りに行った榎本武揚が、日本への帰路一一日間リオに停泊し、リオの街を散策。その美しさに見とれたとあります。 一〇〇年前の一九〇五年三月二七日、皇国殖民会社の水野龍がチリ経由でリオに上陸。第三代日本公使、杉村濬氏が亡くなられる二ヵ月前で、一九〇八年四月二八日、笠戸丸が神戸を出向する三年前です。 この時期、個人的には、郷里・熊本生まれの先輩である隈部三郎が一九〇六年、神奈川丸でサントス経由マカエーに入り、サン・アントニオ耕地で夢を追ったことが頭をよぎります。 この間の一五〇年は、年号で言うと、享保五年、安政二年、明治三八年となります。 そして、いくつかの大戦を経て、時代は急テンポで動き、五〇年後の昭和三〇年、一九五五年九月、コチア青年移民団一〇九人が到着。この年、ブラジル日系社会の中央機関としてサンパウロ日本文化協会が設立されました。 皆様の、連盟はこのときに産声をあげ、本日、老壮会にご列席の皆様の中には、この五〇年の激動の歴史を、改めて、ご自分の生活史と重ね合わせておられる方もおられると思います。 大多数が日本から来ている私ども商工会メンバーと致しましては、皆様がこの地に刻んでこられた様々な歴史・功績・またそのご苦労を考えますと、計り知れない精神力のようなものを感じます。 われわれ企業人は、ブラジル社会が皆様に与えている信頼感の上に立って仕事をさせていただいている事実があり、本日は、この場を借りまして、衷心より、敬意を表しその功績をたたえたいと思います。 そして、この五〇年は、それ以前の一五〇年より、格段のテンポで世界中が動き、今後も様々な出来事が待っていると思います。 しかし、二五年後、五〇年後のお祝いの日に、今日の日が、刻まれていることは、間違いありません。 是非、引続き、手に手をとって、また、後進にも期待を託しながら、更なる発展に向かって協力してまいりたいと思います。 最後に、本日ご参集の皆様の、ご健勝をお祈りし、私のご挨拶と致します。
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